【 合気道 「力を抜く稽古会」】<奥の間サイト>
武道技術を基にした「力を抜く丁寧な“からだ”使いの稽古」により――中心を保ち自立する“からだ”・感じて応ずるための繊細な“感性”・リラックスして制御された柔らかい“動き”……を育て――心と身体を統一した“自然体”の実現を目指す
「武道技術」を遊ぶ――ここで云う対人の技法・型は“闘争の実用・武術の極”云々
を謳うものではなく、「約束として行うすべての“動き・形”」が「力を抜く“からだ”使い・感性」を育てるための稽古。
☒ 日常の雑な“からだ”使いに気づき、繊細で丁寧な“からだ”使いを育てる。
☒ 穏やかに、柔らかく接する対応。
☒ 独りよがりを排し、相手を尊重して行動する。
☒ 落ち着いて自立する。
☒ 思い込みを排し、対象・対称を客観的に観る。
☒ 姿勢の意識により体形を管理する。
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【氏名・年齢・性別・電話番号】を明記のうえ
E-mail
yasu-k1@iris.eonet.ne.jp (川勝)
共通する「“和”の“からだ”使い」
“遊び”を通して「“からだ”使い」を練る
女性にとっての武道稽古という可能性
「力を抜く稽古会」の対人技法は、相互の協力による「約束の“動き”」を「対人
型・殺陣」として創り上げ、これを通して「中心の意識・力を抜く“からだ”使い・
リラックスによる丁寧な“動き”……」を磨くことを目的とする。
とくに「(自身のコントロールを失わない能動的な受動行為としての)丁寧に“受け
をとる”――“合わせる”」という実技がそのまま、「“対立・抵抗”とは異なる
――“感じて応じる”という感性」を育てる稽古になるものであると捉えている。
“動き”を重視する(中心を保つ・重力に沿う・“からだ”や“道具”の扱いをコントロールする……)という稽古のあり方。
自身の“動き”を省みるという実技は自己欺瞞を戒める働きをも担う。
我々の稽古はすべて「“心身”を使うための稽古」として取り組んでいる。
そこで求めるのは「対敵の技が出来ること」より、「繊細に動く“からだ”」「感じ
て応じる感性」であり、形式や手順より、「中心の意識を保ち、対応することができ
る“自然体”」の獲得を目指している。
“動き”を重視する
“護身的動き”で遊ぶ
「力を抜く“からだ”使い」
“自然体” と “マインドフルネス”
共通する和の “からだ” 使いを遊ぶ
武道未経験の女性
稽古開始から二ヶ月目の“動き”
【 稽古会の内容 】
「心と体を統一したリラックスによる“からだ”使い」という“和の身体文化”としての武道技術の実技。
これを手掛かりとして“からだ”で考えることを実践する――そのために武道技術のもつ“闘争”としての側面ではなく、その“発想”に焦点を当てた取り組み。
武道技術を用いて「“からだ”で考える」とは――
例えば、相対の実技として「力を抜いて相手にやさしく触れる」という実践は、相手が“からだ”で直に感じることゆえ“嘘やごまかし”は通用しない――という実際を知ること。
「矛と盾」――両側からの視点をもつ。
「“攻め”としての効率の良い“からだ”使い」を考えると同時に「“遮る”ための効率の良い“から”使い(制する技術)」という視点をもたなければ傲慢さを身につけることになる。
あまりに“からだ”から離れてしまった現代人にとって――「“からだ”を通してしか実感できないことがある」ということを体験・体感する機会として。
【 実技 】
□ 日常的でない“動き”をすることは脳に良い。
▲ 部分ではなく「全身を効率よく使う」――そのために中心が必要。
□ 「心がけること」が“姿勢の在り方”に通ずる。
▲ 実技として取り組むことは特殊な技法などではなく、「心がけること」によって誰もが実現できること。
□ 「氣・イメージの活用」
「イメージだけで出来ることはない」「イメージが出来ないのに出来ることはない」
▲ 「決意と行動」による行為が力をもつ。
□ 「力を抜く」ということ・「力む」ということ
▲ 「力を抜く」は反応する“からだ”――「制する技術」につながる。
「力む」は反応できない“からだ”――物体化。
□ 「力を抜く」――“自然の摂理に沿う――無理をしない”
体重とは既に存在する力――使いこなすことで威力となる。
▲ “受動的”というあり方。
□ 相対の関係の中で、「変化する」――という柔軟な考え方。
「終わりはない」――執着心は限界で行き詰る。
▲ 大事なことは「不動の体」ではなく、中心を失わないこと。
□ “意識”の二面性。
▲ 「意識すること」により“動き”は生まれ、「意識してしまうこと」により“自然な動き”が失われる。
□ 「相手と誠実に向き合う」――「対立」せず「受け入れる」
よく見る・観察する――肉体以前の段階に焦点を合わせる。
▲ 「丁寧に接する」――ということは能動的であると同時に、こちら側にとって“対象の情報を得やすい・
受け取りやすい”という状態でもある。
□ 「意識を切らない」――「残心」
▲ 「先駆けて意識する」「氣を配る」「終わりはない」
□ 「はやい」――ということ。
▲ 「“動き”のはやさ」より「“対応”のはやさ」
□ 「対立」ではなく、「支える」という意識。
▲ 力に力で対抗しない。
□ 「安定」を求めることが居着きとなり、自然な“動き”を阻害する。
▲ 不安定を使いこなす工夫。
□ “矛と盾”――相対の関係における「力を抜く“からだ”使い」の内容。
「丁寧に力を伝えるということ」と、「力を遮るということ」
▲ まず繋がることが大事――ひとりよがりの“動き”をしない。
□ 「受け身」――積極的にバランスを崩す。
▲ 勢いではなく、重力に従うという“からだ”のあり方。
□ 「順の関節技」――身体の構造に沿った働きかけ。
□ 「心と連動した“からだ”を体感する」
▲ 中心を整える・中心を崩さず動く。
□ 重力との関係が“姿勢”を決める。
▲ 骨格で支える――中心からはずれた部分も重力の影響を受ける。
□ 「“合わせる”――身体操作のみでは成立しない――“関係性”」
▲ “自立して支える”――その状態を維持して“運ぶ”。
□ 「体捌き」――謙虚に重力に従う。
「動力源」は“重さ・重力”に任せる――足の置き方・おさめ方を丁寧に。
▲ 予備動作がない“動き”――“落ちる”
□ 「自然な“動き”」――勝手に動く“からだ”
目的を定め、あとは“からだ”に任せる。
▲ 筋力による“動き”は意図的な“動き”
意図的な“動き”は違和感として相手に伝わる。
□ 「強引ではない――“動き”の必然性を考える」
▲ “遊ぶ”――という感覚が“自由さ”を生む。
□ 関係性において「体を捌く」ということ。
▲ 「感じる――感じて動く」
□ 「見せる」――錯覚を誘う。
対象は肉体だけではない――相手の意識への作用を意識する。
□ “からだ”を遊ぶことで“からだ”を知る。
□ 「前へ出る――引かない」――“氣”の在りように通ずる。
□ 「待つ」という心身のありようをコントロールする。
「準備を万全にして――積極的に“待つ”」
▲ 「予測してしまう“からだ”」
「意図的」であることが「自然な“動き”」の邪魔をする。
□ 「集中する」――よく見る・観る。
「集中」は時間を凝縮し、“動き”を濃密にする。
▲ 速く動こうとする“意識的な行動”よりも、「相手の行動を見て(本能的に)反応する方が速い」――と
いう実際を知る。
□ 「共同作業としての対人型」――闘争の模擬ではない。
□ 「道具を扱う」ということ。
▲ 「触れる」――“丁寧に”物・道具に触れる、人に触れる。
自分の“からだ”のように扱う。
□ 「突き~手捌き」
▲ 攻撃的でない「突き」――「相手を待つ」感覚で突く。
突いてしまわない――誘い・変化へ。
□ 「“からだ”をほぐす」
“護身的動き”で遊ぶ
一般体験稽古会の様子
一般体験稽古会の様子
【 目覚めの武道 『 女性にとっての「武道稽古」という可能性 』 】
□ 倫理観や精神論を持ち込まない「純粋な武道技術の稽古」による “からだ” 使い
の実践。
△ 武道稽古においては“知識の集積”よりも、具体的な方法論による “からだ” を
通した体験と体感こそが意味をもつ。
□「力を抜く“からだ”使い」という実技――力強さよりも繊細さ。
柔らかく、滞りのない“動き”――筋力を使うのではなく、“からだ”を使う。
△「自律して立つ」という姿勢の大事――リラックスした心身の在り様。
□ 本来の“自然な動き”を行うことが武道稽古の本質。
△ 意識のあり様が「動き」と「“からだ”の状態」を決める。
□ 中心を保つ凛とした佇まい。
△「落ち着く」という力の実体は、「揺るがない」という “心” と “身体” の実感とし
て表れる。
□「真っ直ぐに見る」「ありのままに観る」――自分勝手なフィルターを通さない。
△ 一般的価値観や常識という思い込みから脱却し、「素直に動く“からだ”」を求める。
□「触れる」ということ――“感じる”こと、“感じて動く” ことの実感を得る。
△ 人であれ、物であれ、接するものはすべて丁寧に扱う。
□「気を配る」――という具体的な“からだ”の獲得。
△ “目先の現象”にとらわれない――実際に行動が起こる“以前”の状態を観察する。
「集中」は時間を凝縮し、“動き”を濃密にする。
□「争わない」という具体的な実技――「対立せず、同調して“誘導する”」――という
意識のもとに行う「対人の技法」
△ 意志の力による静かで穏やかな気迫をもって対象(対称)と誠実に向き合い、良好な関
係性を築く。
□ “からだ”への信頼を取り戻す――“遊び”という感覚が“自由さ”を生む。
△ 思い通りに動かない “からだ” と対面することで自分自身と向き合い、
「リラックスして “見る・集中する” ことで楽に動いてくれる“からだ”」を遊ぶ。
一般体験会の様子
合気道
「力を抜く稽古会」
[ 武道未経験から稽古期間週1回・3ヶ月
経過時点の動き ]
□ 「力を抜く“からだ”使い」の手掛かりは「楽に動くこと」
□ 武術の幻想を追うのではなく、ウソやごまかしが入る余地のないものとして
――“動き”を重視する。
他と競うことを目的とはしない武道稽古――“殺陣”のような「約束対人型」とい
う虚構の世界に遊ぶことで、楽しみながら「“動き”・力を抜く“からだ”使い」を
稽古する。
□ 「複雑な“動き”をこなす全身運動」というものが、身体と脳に影響を及ぼす。
単に“カタチや手順”を覚える――ということではなく、「今まで出来なかっ
た“動き”が出来るようになる」ということは“脳活”という面において新しい回路
が形成されたということである。
□ 「和の“からだ”使い」
“運動能力”の有無を問題としない、一般的な筋力トレーニングなどとは全く異な
るアプローチで“からだ”をコントロールする能力を養う。
□ 自在に動く“からだ”を味わう「受け身」や「体捌き」の稽古は、単純にシェイ
プアップという面からも身体を引き締めるに充分な全身運動となる。
□ “心身のリラックス”という実際を楽しみ、“闘争の形”という非日常を味わう
一時をもって“からだ”を刺激するという体験は、現代人にとって決定的となってい
る「運動不足とストレス」を解消し、心身をリフレッシュすることに役立つ。
そして、その継続によりいつまでも活き活きと動く“からだ”を維持する。
『 人間は「リラックスする」ことと、「適切な運動」が足りていなければ心身の正常
を保つことは難しい。
そして、万人に共通の大事でありながら、ほとんど理解されていないのが“から
だ”というものである。
武道技術の稽古は“からだ”を知る手掛かりとなる。 』
ここで云う「合気道」の稽古とは、伝統としてのその“動き”や“技法”の特徴に
目を向けるのではなく、「心と体を統一したリラックスによる“からだ”使い」と
いう“和の身体文化”を体験する実技ととらえています。
また、巷間に流布している「ありえない武術の達人パフォーマンス」などを崇拝し
たり、惑わされることなく、自分自身のためになる稽古であるべきと考え、現実を知
るためにも「感じる・合わせる・つながる・一体感・中心感覚…などの身体感覚をた
よりに様々な「検証」を行い、“相対の関係における正直な姿”を求めます。
武道技術は「相手やモノを大切に、丁寧に扱う」というところに本質を見出すことができるものであり、「争わざるの理」を謳い“対立しない”ことを旨とする「合気道」であるからこそ、その技法をとおして「“力を抜く”という発想に触れ、“力む”ことの効率の悪さを知り、リラックスした“動き”、丁寧な“からだ”使いを工夫する」という実技に焦点を合わせた稽古ができるものと考えます。
そして、あらゆる“動き”・“からだ”使いの稽古を行うことがその理解の助けになる――という観点から、「合気道」としての技法に対する決めつけや拘りを排し、“からだ”を動かすことにおける興味を持続するための“遊び”の部分として“殺陣・擬闘”の要素を含む「約束対人型」をとおしてさまざまな武道技術を体験するという稽古を行います。
具体的には――「体さばき」や「受け身をとる」などの全身運動によって身体を引き締め、「剣や杖」などの道具を扱う稽古により独りよがりに陥らない“感性”を磨く
――という稽古を体力・運動能力に関わらず、各人のぺースで楽しんで取り組めることを目的としたものです。
なにもしなければ老いは劣化をもたらすのみであり、“からだ”を遊ぶことができてこそ“身体”は活き活きと動いてくれるものであると思います。
いつ?・どこで?
When?・Where?
稽古場所 京都市北区の自宅にて
Place Master's private home
当会の稽古理念に納得していただいた方を対象として、十畳程の自宅リビングを稽古場として、受講される方の要望に添う個別教授の形で予約制(稽古日時応相)にて稽古申し込みをお受けしております。
For those who agree with our practice policy, we accept reservations for private lessons arranged for their requests (date and time also), in the living room at the Masters private home.
【 個人稽古の内容 】
合気道を基に、武道技術の「“動き”を重視した実技」による「力を抜く“から
だ”使い」と「“自然体”の獲得」を目的とした稽古
※ 『個人稽古』はご希望に沿う形での進行を心がております。
稽古日時に関しましてもできるかぎりご要望に応じます。
※ 稽古時間 1回
約90分 五千円
90minute 5,000yen
稽古日・稽古時間 応相談
Date & Time Consultation
※ 詳しくは
京都【合気道「力を抜く稽古会」】<玄関サイト>
にてご確認ください。
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